ゲストの席より一段高い所に設けられた、披露宴での新郎新婦の席を「高砂」といいますね。また、時代劇での結婚式の場面で仲人が高砂を謡うのをご覧になったことある方もいるでしょう。
しかし、現代では食事会のみでの式はもちろん、披露宴でも高砂を作らない場合も多く、仲人が高砂を謡うことは滅多にありませんし、仲人を立てないことも増えてきています。姿を消しつつある伝統の1つといえるかもしれません。しかし、長く引き継がれたその伝統にはとても深い意味があり、そこに夫婦生活の深遠がみえるように思えます。
日本の結婚式の伝統『高砂』にこめられた夫婦の理想像とは?
結婚式で謡われる『高砂』とは
結婚式で謡われる『高砂』とは、室町時代に世阿弥が作った能楽『高砂』のなかで、旅の神主が謡う謡曲の一部です。
高砂や この浦舟に帆を上げて 月もろともに出で汐の 波の淡路の島蔭や遠く鳴尾の沖過ぎて はや住の江に着きにけり
とあり、この文句自体は「高砂で船に帆を上げて島かげを通って、住之江に早くも着いた」といっているだけで、とくに結婚を祝う内容ではありません。
能楽『高砂』に登場する夫婦とはお爺さん、お婆さん
それなのに何故、これが結婚式に使われるのかですが、それは能楽『高砂』の物語を知れば納得できます。
『高砂』の主人公である夫婦は白髪のお爺さん、お婆さんで、「今まで過ごしてきた日々を忘れるほど齢を重ねた」とのこと。仲むつまじくふたりで高砂の松の木陰を掃き清めています。しかもお爺さんは、高砂から遠い住吉に住んでいるとのこと。このことに旅の神主は驚くのですが、 「遠く離れていても、心が通じ合っていて、思いあっていればちっとも遠くない」とお婆さんは事もなげに言うのです。
この老夫婦は実は高砂と住吉の松の化身でした。この2本の松は「相生の松」と呼ばれており、 「相(あい)ともに生まれ、生きて老いるまで」という夫婦の理想を体現した姿なのです。
男女という大きな距離をどう乗り越えるか…
高砂、住吉というと、物理的な距離がありますが、男性と女性はそもそも身体の作り自体異なり、立場や考え方なども大きく異なります。隣にいたとしても、遠く感じられ、理解しあえないこともしばしばあります。また、夫婦仲の危機というべき出来事もふたりの間に立ちふさがるかもしれません。
しかし、お婆さんはそのようなことも、お互いを思う気持ちがあれば乗り越えられると諭しているのでしょう。とはいえ、簡単なものではないと思いますが…。寄り添いあう老夫婦の姿。それは確かに若いカップルにはない、思わずほのぼのとさせられる、一種独特の清らかさがありますね。さまざまな苦労を乗り越えた末に勝ち得た穏やかさといいますか。その域にまでいけるのか…努力はしたいと思いますが、「もー!男ってなんでそうなの!?」と、夫の一言にいちいちカリカリしている私にはまだまだ自信がもてません。