ロイヤルウェディングといえばみんなの憧れ。現代でも国を挙げてのお祭りになりますね。しかし、無邪気に喜んでばかりいられないのは高貴な人物の結婚です。
日本でも江戸時代までは天皇や将軍などの結婚は、政治的な意味が強く、要は政略結婚でしたが、たくさんの国が同じ大陸にあるヨーロッパでは尚更でした。1770年に行われたオーストリアの女帝マリア・テレジアの十一女であったマリー・アントワネットと、フランス王の世継ぎであったルイ16世との結婚は、両家の和議が目的。当時新郎は15歳、新婦は14歳。若いというよりは、夫婦になるには幼い2人でしたが、その結婚式は大変盛大なもので、ヨーロッパ中の注目を集めました。
世紀のロイヤルウェディングに隠された不吉な未来への暗示~マリー・アントワネットとルイ16世
悲劇的な結婚の結末を思わせる結婚式でのエピソードとは?
両国が手に手をとり、繁栄していくための結婚であったわけですが、それにも関わらず、マリー・アントワネットの結婚式にはその後の悲劇を感じさせる不吉なエピソードが残っています。
結婚式の前にオーストリアからフランスへ花嫁の引渡しが行われたのですが、その際、両国の境であるライン川の小さな砂洲に建物が建てられ、そこで行われました。しかし、その建物にこっそり忍び込んだというかの天才ゲーテによると、そこに飾られていた壁掛けには結婚にはもっともふさわしくないものが描かれていたとか。それは、ギリシャ神話の不幸な結婚の代名詞というべき、イアソンと魔女メディア夫婦の姿。メディアはイアソンを熱愛し、よくつくし、2人の間には可愛い子どもたちもいました。しかし、イアソンは王女とも結婚を画策し、メディアに離婚を迫ります。悲嘆にくれ、激怒したメディアは王女を殺し、こともあろうか可愛がっていた子どもまで殺し、イアソンの罵声を浴びながら、彼の元を去りました。ゲーデでなくても、「何故花嫁の部屋にこんなのものをあえて飾るのか!?」と信じられない気持ちになりますね。
さらに、ヴェルサイユ宮殿での結婚式の際は、アントワネットが結婚契約書に署名した際、インクが滴り、シミができてしまったことも不吉な前兆といわれています。
断頭台の露と消えるまで、苦難続きのアントワネットの結婚
王様といえば寵姫がいっぱいいて…というイメージがありますが、ルイ16世は愛人をもたず常にアントワネット一筋(というよりは、女性にあまり興味がなかった!?)で、温厚な性格。感情表現にとぼしく、普段はボーッとしており、錠前作りや狩りなど趣味に夢中な今でいう“オタク”で、寡黙でした。よって、人はいいけど、楽しいことが好きで、あまり利口ではなく、考えることが苦手で少々軽い、彼女とは性格的にあいませんでした。お互い嫌いではないけど、熱烈な愛情はなかったと思われます。少なくとも自由恋愛なら結婚には至らないでしょう。
なによりも世継ぎを作ることが2人の命題でしたが、ルイ16世の性機能に問題があり、ベッドでの振る舞いに対しても超多産であった母から手紙でアドバイスがあったにも関わらず、なかなか妊娠できませんでした。それでもなんとか2男1女の母になり、アントワネットの遊び好きな面も落ち着いてきたようですが、時すでに遅く。フランス革命勃発後、ルイ16世に続いて断頭台で処刑されてしまいました。
ヨーロッパでもそうですが、日本でも少なからず結婚式では“縁起”が気にされます。「やっぱりこれがまずかったのよ…」というのは結果論にすぎないと思いますが、そういわれないためにも、できるだけ縁起の悪いことは避けるほうがいいのかもしれません。
もっとマリー・アントワネットを知りたいなら…
マリー・アントワネットといえば、日本人に最も親しみあるのは少女漫画の金字塔池田理代子作の『ベルサイユのばら』ですね。宝塚のミュージカルでも有名で、この作品から彼女の生涯に興味をもった方も少なくはいかもしれません。
『ベルサイユのばら』は、シュテファン・ツヴィアイク作の伝記文学『マリー・アントワネット』を元にしておりますので、さらにそちらを読みますと理解が深まります。