小津安二郎監督が亡くなった1962年に彼の死に殉じるように引退し、そのまま最後まで公の場に姿を現さないまま亡くなった女優の原節子さん。彼女は生涯独身で、スキャンダルすらなく“永遠の処女”と称されましたが、1949年に公開された小津作品の名作『晩春』では、男やもめの父を残して嫁ぐ娘を演じています。
[原節子さん追悼企画]巣立てない娘と父親の愛情―映画「晩春」
父の傍から離れられない妙齢の娘
原節子演ずる紀子は、母親を早くに亡くし、大学教授である父親周吉と長い間ずっと2人で暮らしていました。そんな彼女は27歳で、当時としては嫁き遅れと言われてもおかしくない年齢です。その年齢まで独身なのは、戦争中身体を壊したため。それから、父と2人でいることに居心地の良さも感じており、変わりたくないという思いがあるからです。彼女は巣から飛び立ちたくない雛なのです。
父への失恋が娘の結婚のきっかけに…
父親周吉はこのままではいけないとなんとか娘の夫を探そうとします。自分の助手の男性をとも思いましたが、残念ながら彼には許嫁がいました。
そんなとき、周吉の妹まさが紀子にお見合いの話をもってきますが、同時に周吉にも再婚話をもってきます。
自分自身のお見合い話よりも、父親の再婚話に動揺し、苛立つ紀子。自分は父親の妻のように振舞ってそこに安住していたけど、その場は本来自分のポジションではないという現実を突きつけられた、そんな心境なのでしょう。
ついに紀子は「奥さんをおもらいになるの?」と尋ねます。周吉の「うん」という答えに、まるで失恋した少女のように傷ついた顔を見せ、泣き崩れます。父親は再婚したいが故に自分を嫁に出したがっていると思ったのです。それをきっかけに彼女は結婚を決意することになります。
一世一代の大芝居をうった父親の心情
紀子は嫁ぐことになり、最後は美しい原節子の花嫁姿を見ることができます。彼女はハーフではないかといわれるほどの日本人離れした容貌でしたが、文金高島田に角隠しをつけて、艶やかな着物姿で、父親に挨拶する様は大和撫子そのもののしとやかさです。
結婚式の後、1人自宅に帰った周吉はリンゴの皮をむきながら寂しそうにうなだれます。実は父親にとっても娘は離れがたい唯一の存在だったのです。再婚するといったのは周吉の一世一代の大芝居、嘘でした。そうでもしないと、紀子は巣立てないと思ったので、誤解されるのを承知で嘘をついたのです。
愛情深き父親は、最後の父娘での京都旅行に行ったとき、こんなことを言っています。
「お互いに信頼するんだ 。お互いに愛情を持つんだ。お前がこれまでお父さんに持っててくれていたようなあったかい心を今度は佐竹君に持つんだよ。そこにお前の本当に新しい幸せが生まれてくるんだよ。分かってくれるね」
1人の娘であり、娘をもつ親である著者の心にもじんと染みた名台詞です。これぞ父親ならではの暖かさ、愛情といえるのではないでしょうか。紀子はきっと幸せになったことでしょう。