結婚・結婚式の「今」を徹底追求するウェブマガジン『Pridal TIMES』プライダルタイムズ

結婚の「今」を徹底追及!

写真だけの結婚式 Pridal
写真だけの結婚式 Pridal

結婚・結婚式の「今」を徹底追求するウェブマガジン『Pridal TIMES』プライダルタイムズ

結婚の「今」を徹底追及!

写真だけの結婚式 Pridal
写真だけの結婚式 Pridal
写真だけの結婚式 Pridal

日本人の結婚の「意外」な歴史

2018-10-02

Share on Facebook
LINEで送る

記事

写真提供:鶴巻温泉 元湯 陣屋

結婚は現代人にとってあって当たり前、生活の一部に組み込まれています。しかし、結婚自体は歴史の移り変わりによって形を変えてきました。そもそも結婚とはどのようにうまれ、今のような形になったのでしょうか。ここでは、日本人の結婚の移り変わり、歴史についてご紹介します。

結婚の起源 子育てのためにうまれたシステム

人間の祖先は類人猿ですが、類人猿に結婚という概念はないでしょう。結婚に大きく関わる、類人猿と今の人間の違いについて、人類学者のヘレン・E・フィッシャーは人間が直立二足歩行すること、人間の女性には発情期がないことをあげています。

まず、直立二足歩行することによって人間は道具をより巧みに仕えるようになりましたが、、女性の骨盤の形が変化し、産道が狭くなりました。そのため、大きな赤ちゃんが産道を通過することが困難になり、難産が増え、出産によって命を落とす母親が増えました。ところが、従来より未熟な状態の小さな赤ちゃんが産まれた場合は、母子が無事であるため、早産の遺伝子をもつ母子が増えていったのです。しかし、未熟な赤ちゃんは歩行もままならないため、出産後、女性は自分で食べ物を手に入れ、外敵から身を守るのも困難になります。母子が自分だけの力だけ生き残ることはできません。つまり、特定の男性に守ってもらう、性の契約ともいえる、結婚が必要になったわけです。

それから、発情期、これも大きな影響があります。類人猿のオスは発情期のメスに近寄り交尾しますが、発情期のメスはたくさんの食べ物をオスから受け取れ、オスがいつも傍にいるので守ってもらえるというメリットがあります。しかし、それは発情期のみです。そこに、いつでも交尾可能なメスが現れ、そうしたメスの場合、未熟な赤ちゃんを抱えていても生き残れるチャンスが増しました。

結婚の起源はこのようなところから来ているようです。

平安時代は一夫多妻ではなかった!?

「ヒト」においては、その社会が発展してくことにより、結婚という形式が次第に確固たるものになったと考えられます。最たるものは一夫一妻という男女の契約ですが、実は思ったよりもずっと古くからあり、平安時代ですら結婚は基本的には一夫一妻でした。

確かに『源氏物語』をはじめとして、平安時代の文学作品では1人の男に複数の妻のような女性がいるという状態が当たり前ですし、天皇には多くの女性が競って嫁ぎました。しかし、ここでいう妻は現代でいうところの妻とは異なります。例えば、『源氏物語』の主人公、光源氏にとって現代と同じ意味で妻といえるのは葵上と、女三ノ宮だけです。葵上は左大臣と光源氏の父桐壺院の妹宮との娘で、この結婚は桐壺院と左大臣との取り決めでした。左大臣に臣下に降った光源氏の貢献をこの結婚によって桐壺院は依頼したのです。女三ノ宮は光源氏の義兄にあたる朱雀帝の娘でした。朱雀帝から光源氏に是非にと頼まれて葵上の死後、不在だった妻の地位を彼女は受け継いたのです。つまり、正式な妻は実際には常に1人であり、身分的にも釣り合う相手が選ばれました。紫の上は光源氏と長年連れ添った、最愛の女性でしたが、彼女が正妻の子供でないことかしらして、身分的にも光源氏とはつり合いがとれません。紫の上が一緒に光源氏と暮らしていても、正式な妻ではないため、朱雀帝も娘を嫁がせたのでしょう。

現代とは異なり、身分の高い男性はたくさんの妻のような女性をもつことは可能でしたが、実は平安時代であっても正式な妻は1人で、既に一夫一妻だったわけです。

明治時代までは離婚は“ふつう”だった

“妻のような女性”と書きましたが、そうした女性の場合、その関係の解消は男性の気持ち次第であり、特に子供がいないと非常に彼女の身の上は危ういものでした。紫の上は子供がいなくてもどんな女性でも自由に選べる立場の男性の気持ちを離さずに一番愛されたまさに理想の女性だったというわけです。しかし、実際は人知れず男性の不実に泣かされた女性は少なくなかったでしょう。

また、正妻についても、離婚も可能でした。栗原弘氏の『平安時代の離婚の研究』によると、夫が通ってこない、あるいは家から出ていって2~3年すると離婚が成立するとあります。また、この時代は平均寿命が短く、出産で命を落としやすいという事情から必然的に多くの男性が再婚をくり返していましたので、今の結婚生活とは大分事情が異なっていると思われます。

現代は離婚する夫婦が多すぎると言われていますが、驚くべきことに、江戸時代の離婚経験者は現代以上であったようです。磯田道史の『江戸の備忘録』によると、愛媛県に残る正確な記録では宇和島藩士32人のうち、その4割が離婚経験者、2度以上結婚した者が6割、3回以上結婚する者も2割いたとのことでした。離婚して再婚するのは男性だけではなく、離婚されたとしても女性もすぐ再婚できたそうです。これは武士だけではなく、庶民もそうであり、そもそも江戸時代の時点では結婚したなら一生添い遂げるという概念自体が希薄だったと考えられます。

結婚が一生ものになったのは、明治時代末期

明治時代に入って急に結婚は一生ものになったかというと、そうではありません。法社会学者の湯沢雍彦氏のよると、統計のある国のなかでは明治の半ばまでは日本が最も離婚の多い国だったとのこと。この時代は親同士が子の結婚を決め、特に女性はかなりの若さで結婚させられたため、いざ結婚してうまくいかなかったということは少なくなかったのでしょう。しかし、離婚のハードルが低いならば、とりあえず結婚してみるというのもさほど悪いことではなかったかもしれません。

これは私の予想ですが、明治31年(1898年)に定められた民法が日本での離婚率低下に貢献したのはないかと思います。この民法は差別的な家長制度優位なもので、それによると、女性は結婚前は父親に従い、結婚後は夫に従うよう求められています。さらに、「女は婚姻によって無能力者となる」とあり、結婚すると、家事、育児に従事することしか許されないため、離婚後に自立して生活するのが難しくなってしまいました。また、子供についても父親にとられてしまうことも多いでしょうから、離婚してしまうと子供と別れることになってしまいます。庶子も差別されているので、結婚して正妻であることには子供のためにはメリットが大きいのです。

そうした事情から結婚が一生ものになったのは、女性が我慢せざるを得なかったというのが一因として大きいように思います。江戸時代の場合、女性でも働き、1人暮らしも可能でした。しかし、明治になってその権利を女性は奪われ、結婚し続けるしかなくなったのです。

現代は男女どちらからも離婚するのは可能ですし、もちろん、努力と意志によって結婚を一生ものにすることも可能です。対等であるからこその軋轢はあると思いますが、それでもやはり幸福な時代に生きていると感じずにはいられません。

参考文献

『結婚の起源 女と男の関係の人類学』ヘレン・E・フィッシャー
『源氏物語の結婚』工藤重矩
『江戸の備忘録』磯田道史
日本の家族と民放 加賀山茂
http://lawschool.jp/kagayama/material/civi_law/family/lecture2004/01_2family_civcode.html (外部リンク)

注目!

椿山荘画像

大人フォトウェディングに絶対おすすめ-格式高い結婚式場として不動の人気は?
都心とは思えない緑豊かな広大な庭園、ラグジュアリーなホテル館内など撮影ポイント満載でフォトウェディングを考えているカップルにも絶対におすすめなのがホテル椿山荘東京。チャペルでの撮影も可能、ドレスや和装のラインナップも豊富…

ライター:AY

AY画像仕事も私生活ものんびり派。ライター業は30代から、結婚は35歳で早もうすぐ四十路・・・。お陰様でビジネス、自己啓発、夫婦生活、エンタメなど幅広い分野で執筆活動中。仕事も結婚生活も続けられている幸せをかみしめつつ、現代を生きる一生活者の目線で執筆しています。

Share on Facebook
LINEで送る

NEWS > 結婚観・恋愛観 > 日本人の結婚の「意外」な歴史

「結婚式の費用を抑える、とっておきの方法」はこちらから